小さいことは美しい、あるいはニートという「問題」について

仏教的な観点からすると、仕事の役割というものは少なくとも三つある。人間にその能力を発揮・向上させる場を与えること、ひとつの仕事を他の人たちとともにすることを通じて自己中心的な態度を棄てさせること、そして最後に、まっとうな生活に必要な財とサービスを造り出すことである。
in
「スモール・イズ・ビューティフル」*1

なぜひとは仕事をしなければならないのか?食うに困らなければ、べつに働く必要はないではないか?という主張への反論はここにあると思う。

より正しいニートの定義は、「15〜34歳の若者の内、学生でもなく既婚者でもなく、かつ無職者で、求職活動も行なっていない人」です*2

職につかず、かつ、職を求めることもない若者の多くは「その能力を発揮・向上させる場」がないことに悩んでいると思う。そのような場を提供するのは社会のつとめである*3。そしてそのような若者たちには、ふたつめの仕事の役割について考えてほしい。「ニート」という概念はおせっかいな「福祉国家」である英国政府が造り出したものであって、そんなものに拘る必要はまるでない。「ひきこもり」という概念ですら、流行語として過剰に消費されてきたように思う。数日間ひとりで思索に耽るのも情報が過剰な現代においては必要な時間かも知れない。でも、それがあまりに過ぎると自己が膨らみ始める。西洋文明は自己の拡大を目指し、東洋は自己を無くすことを希求する、といった小説家がいた。自己を小さくすることは美しい。

*1:

スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)

スモール イズ ビューティフル (講談社学術文庫)

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Small Is Beautiful: Economics As If People Mattered : 25 Years Later...With Commentaries

Small Is Beautiful: Economics As If People Mattered : 25 Years Later...With Commentaries

*2:http://d.hatena.ne.jp/ClossOver/20060206/p3

*3:政府のつとめではない