単線性の崩壊

 また、最近仕事である人からアクロス編集室編『東京の若者:渋谷・新宿・原宿「定点観測」の全記録』(PARCO出版/1989年)という本を借りたのだけど、これも『ストリートファッション1945-1995』と似たような本。だけども、この本の良さは、80年から89年まで一年づつ綿密に調査をまとめているところにある。内容は、『アクロス』誌連載だった定点観測をまとめているものなのだけれど、80年代のファッションがいかに単線的で、かつサイクルが早かったかということがとてもよくわかるのだ。

 そういえば、『ストリートファッション1945-1995』は、図らずも震災とオウム事件が起きた95年でその歴史の記述を終えている。これは『アクロス』誌の休刊を受けてのことなのでたまたまではあるのだが、僕は根拠なくそこに必然的な「(単線的な)ファッション」の終焉を感じてしまう。無論、ここでの「(単線的な)ファッション」とは「大きな物語」と同義である。なにが正しいとか、なにが間違っているとか、単純に、素朴には言えない時代だ。
from
単線性の崩壊と「自由」の住処: http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20040412#p1

ファッションの「大きな歴史」の終焉がアパレル産業の多品種少量生産システムの完備によってもたらされたとすれば、それによって、例えば「女の子」がミニスカートによる序列化から解放され、自由をもたらしたとは言えまいか?
外部環境が変わればルールは変わる。
人が死ににくくなったのだから、年金システムもそろそろシステム変更すべきだ。