忘却とは忘れ去ることなり

「わたくし」が「わたくし」であることは他人を介してはじめて成立するわけで、言わば情報の構築こそが「わたくし」、コンピューターはコピー&ペーストで忘却システムが無い、人間は忘却するので生身の人間であるトグサはまぬけに見える、バトーはどちらにもいけない、トグサにも少佐にもなれない、忘却出来ないから悩む、その悩む心が無垢であり、それこそがイノセンス(言い切った!)カラダは単なる乗り物にしか過ぎない、残る脳だけが「わたくし」であり、さまよえる脳髄、それまたイノセンス(言い切った!)このような映画だった気がするけど漢文やキーワード「ゴースト」のことを調べたいのでパンフレットを買った。
from セミビキニ*1

情報とは生成するまでに捨てた情報量と生成の難しさである
from
橋本大也さんの「ユーザーイリュージョン」*2の書評*3

計算熱力学的には、情報を得ることではなく、捨てることにエネルギーが必要であると言われている。
いかに情報を捨てるかが重要だ。写真を撮ってるヒトはみんな分かってるはずだ。トリミングにせよ、一本のロールから一枚の写真を選ぶ作業にせよ。いかに情報を捨てるかだ。
google:情報 捨てる技術
blogとかもですね、消去すべきは消去していいと思うんですよね。
あまりに記憶が良いのも時には不幸の原因となる。
例えば、ノン・フォイマン*4

*1:http://d.hatena.ne.jp/aikawa8823/20040427#p1、相川さん、オレ的には結構ホレているのだ。

*2:

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

*3:http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

*4:

John Von Neumann and Norbert Wiener: From Mathematics to the Technologies of Life and Death

John Von Neumann and Norbert Wiener: From Mathematics to the Technologies of Life and Death