思想、あるいは無矛盾性な人間

ossa2004-05-07

人間の無矛盾性はまだ証明されていない。
なぜなら、人間が矛盾に富んだイキモノであることは周知の事実だからだ。

それ故私たちは、思想をそのまま事実と信じて、これにとらわれるときには、しばしば鏡に向かってヒゲをそるのに、カミソリの向け方が思うようにならないと同様のことが多いのである。
だから私が常に神経質患者に対して注意するところは、私たちはその思想にとらわれて、直接に、その行為を当てはめようとするときには、いたずらにくい違い、矛盾におちいることが多いから、思想は行動の見当をつけるにとどまらなければいけない。
それはちょうど鏡に対して、単に顔の局所の見当をつけるにとどめ、カミソリは自然の手の運動にまかせるようにしなければならないようなものである、ということである。
from
<思想の矛盾>「神経質の本態と療法」森田正馬白揚社より
http://www.mental-health.org/mh13-3-4.html

言葉(概念)にこだわりすぎるのが「神経質」ということではないのか?
たとえば、
衛生に過度にこだわると、潔癖性。
「情報」に過度にこだわるのが、情報依存症(Information Anxiety)*1

柄谷: もちろん思考というものは常に極限を要求するので、必ず絶対的なものを考えます。しかし、問題はいつも相対的です。絶対的な観点から見るのは深い考察のように見えて、実は違う。
from
共同討議: 責任と主体をめぐって 批評空間II-13(1997)

福田官房長官が辞任した。
「みそぎ」の後、
再びご活躍いただきたい。

柄谷: 総動員体制がファシズムだとすれば、戦後非軍事化された日本において総動員体制が完成されたことは別に矛盾しない。ぼくは日本にファシズムの危機はないと思っている。-- すでにファシズムだから(笑)。



*1:Richard Saul Wurman, Loring Leifer, David Sume, Information Anxiety 2. ISBN:B00012OWF6