60年代と私 -- 柄谷行人、その可能性の中心 #6*2

たとえば1960年に、私は“安保闘争”とブントに参加したが、高校時代に自治ごっこを徹底的に軽蔑していたので、いつのまにかそこに没入している自分自身をたえず奇妙に感じていた。
私はブントの破壊性、過激な行動が気に入っていたのであって、理論的なおしゃべりなどはどうでもよかった。ただブントの“理論”があるとすれば、それは宇野弘蔵の考えから彼自身の意図に反する結論を導き出したところにあると思う。つまり、史的唯物論イデオロギーであるが『資本論』は科学であること、したがっていかなる実践的方針も目的も『資本論』から出てこないにもかかわらず、その論理はわれわれの恣意性をこえてつらぬかれていること…こうした宇野の考えから実践におけるいかなる主観主義も“肯定”されることになる。